2006/10/03

暗号警視

床の上で女が死んでいた。鑑識がすっかり引き上げた現場に、新米と中年の刑事が佇んでいる。中年の方が口を開いた。
「状況を説明してくれ、ゴードンくん」
「はっ、警視殿。被害者は Nickey Lee 、20 歳学生。日本文化に傾倒し、本棚はほとんど日本のマンガ。建築専攻で、照明などは手作りだそうです。ファッションも奇抜で、個性的な娘だったようですね」
「名は体をあらわす、か」
「といいますと」
「被害者の名前は N.LEE 。Not Like Everybody Else …他の誰とも違っていたいという意志が秘められているんだな。暗号だよ」
「はあ。しかし名前にそんな」
いぶかしむゴードンを手で制し、警視は続けた。
「甘いな。わたしは暗号解読で既に犯人を特定した」
ゴードンは目を見開いた。捜査は完全に行き詰っているのに。その表情を満足げに確認し、警視は部屋をゆっくりと歩き始めた。
「説明しよう。まず被害者が手にしていた日本のコミック『 MMR 』。これは全篇暗号の解読だけで成り立っているような代物だ。最期にこれを手にしていたことに何の含意もないはずがない。MMR … Marry Me Rodger 。被害者はロジャーという男性に結婚を迫っていたんだ」
「そんな無理矢理な…まあ確かに、彼女の電話帳にロジャーという名前はありますが」
「North Lancaster 在住だろう」
「え、そうです。確認されたんですか」
「私は電話帳を見ていない。暗号だ。Resident of North Lancaster … RNL 。ここにロジャーの意志が見られる。Rust Not Last 。結婚とは続く( Last )のではなく錆びる( Rust )ことなのだ、と。つまりロジャーは彼女の求婚を拒んだ」
ゴードンの調べでは、ロジャーと被害者が交際関係にあったことすら分かっていなかった。逆に言えば、警視の説明にはまったく裏づけが無い。
「ロジャーはいつものように被害者に言い寄られ、そこでカッとなって殺してしまったんだ。しかし被害者は最期まで彼を想っていた」
ゴードンはたまらず口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。この証拠の少ない状況で、死者の感情まで推し量るのはいくらなんでも早計に過ぎるかと」
警視は不敵に笑った。
「十分な証拠はあるのだよ。被害者の指が指しているものを見たまえ」
うつ伏せに倒れた被害者の指はまっすぐ伸びて、床に散乱した酒瓶のひとつを――
「日本のショーチューですね。『白河』」
「そのとおり。白河= White River 、WR は Why, Rodger 」
「なぜなの、ロジャー…と…」
その瞬間、男がクローゼットから飛び出してきた。
「ああニッキー!私はなんてことを!おまわりさん、私がロジャーです。ハンガーに引っかかってロングコートのフリをして隠れていました。自首します。本当になんてことを。あああニッキー!」
男の顔面は涙と鼻汁でぐしゃぐしゃだった。床下に漬物のフリをして潜んでいた警ら隊が、速やかにロジャーを捕縛して連行した。夕日に溶けるように遠ざかっていくパトカーを、ゴードンと警視が見送る。ともに、表情にはやるせない色が隠せなかった。
「若さゆえ、あまりにも愚か、か…」
「Young And Speechless Ugly 。警視、これも暗号でしょうか」
「どういうことかね」
「犯人は YASU 」
「いや、それはない」

2006/10/21

さういふ人にわたしはなりたくないのに

web 上でヘイトテキストをよく見る。根の深い怒りというものをおれは実感できないので、そういう行間から憎しみが染み出してくるようなテキストを読むと背筋が寒くなる。ひとつのものに人は、こんなにも怒れるものなのか。

たとえば、故郷の田舎を呪うテキストを、二度見たことがある。二度とも書き手は女性。女性が子を生む道具であり、しきたりや家を守るためなら個人を抹殺することも厭わない。そんな田舎を、彼女たちは憎んでいた。そして田舎を憎んだことの無いおれは、その怒りの激しさに、ひたすら戦慄した。

きょうもインターネットのそこかしこで憎しみのぶっつけ合いが続いていて、おれは日に日に分からなくなっている。「人を殺してやりたいと思ったことがない、って言う奴を見ると殺したくなる」という一文におれは共感したけど、その「殺したい」は先述の彼女たちが田舎を消し去りたいと思う気持ちとは違うだろうし、被征服者が侵略者に向ける憎しみとも違うだろう。おれはいつも何かに怒っているけど、本物の憎悪に感じる恐ろしさは、たぶん理解できないものに対する恐怖と同質だ。おれの怒りは所詮上っ面のものだ。

「本物の〜」という言葉の陳腐さはずっと前に書いて、こるりこさん他から賛同されたと思う。けどここに至っておれは「本物の感情」というもののことを考えている。本物の怒り、本物の悲しみ、本物の幸せ。そんなものはない、おれは以前そう書いたはずなんだけど、モニターから染み出してくるような憎しみを目の当たりにすると、おれは自分が知らないそういう「本物の感情」があるような気がしてくる。オキナワという土地は楽園である一方あまりにも多くの憎しみが今でも生まれ続けていて、だからおれはそういうたくさんの Hate を背負っていてもいいはずだと思うんだけど、それがない。それはなんだか同じ宿命を背負った者としてうそ寒いことのように思う。やはり「本物の」何かがあるんじゃないかと疑う。そしてそこから隔たっていることを、不謹慎ながら悔しく思う。自分が去勢された生き物のように思えてしまう。本当は敵なんか要らないのだけど、おれが感じたことのない強い憎しみ、怒りを、それを抱ける人を、嫉妬してしまう。だって、これじゃおれは死人のようじゃないか。糞ったれめ。それも嘘だ。糞。それも。何もかも。世界はこんなにも穏やかだ。

2006/10/22

山口貴由『シグルイ( 7 )』

虎眼先生と源之助はラヴラヴでござるの巻。
シグルイ 7 (7)シグルイ 7 (7)
南條 範夫 山口 貴由

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2006/10/29

学ぶことと働くこと

こないだ某投資機関の偉いさんの講演を聴いたんだけど、その中でちょっといい話があったので書いておく。

ジョージ・ソロスの学生時代の専門は、カール・ポパーだった。

ジョージ・ソロス。デリバティブ取引の神様、日本でも有名な投機家、年に 100 億ドル単位で稼ぐ化け物。他方で著名な慈善家などの顔も持っている彼だけど、それでもやはり、世界屈指のマネーメイカーとしての印象の方が強いだろう。しかし、その学生時代の専門はカール・ポパー(哲学者)だった。現在に至る彼の投資哲学には、ポパーの思想が息づいている――。

(wiki ほかを読むと専門というより傾倒していただけのようにも見えるし、そもそも彼は経済系の大学に在籍してたんだけど、一応多少なり親交があるらしい人が話していたことでもあるし、今回おれはそっちに重きを置くことにする。どうでもいいけど「 wikipedia - ジョージ・ソロス」の読みにくさは異常。直訳?)

文学部とかの人がよく「金にならねえ専攻でさー」と嘆いてるのを見る。おれ自身はその意味で「金になる」専攻で、「金になる」講義を多く受けてきた。けどおれはそういった知識の活きる金融業界には進まないし、そもそもそんな専門知識なんか持ってない。
大学で学ぶことなんてたかがしれてる、と言いたいわけじゃない。大学で学ぶことを生かすも殺すも自分次第だってことだ。おれは「金になる」学問をもって「金になる」仕事に就かなかっただけで、ソロスはその逆をやった。比べるのもおこがまし過ぎるんだけど。

そりゃ授業で出ることがそのまま仕事に使えるもんでもないだろうし、ましてや「『論理哲学論考』などを記した哲学者は?」「ウィトゲンシュタイン!」「正解!100万円あげる!」なんて金儲けの仕方は有り得ない。しかしソロスの在り方を見ていると、学問の「卑近な」可能性にも改めて気付かされるのだ。
また別の角度からの話をすると、おれは確かに学部で学んだ専門知識をそのまま活かせる業界では働かない。しかしその専攻は、おれの就職活動ではあらゆる面でプラスになったし、仕事の上でも凡百に埋もれない可能性を与えてくれている。これも「卑近な」可能性のひとつだ。

投機活動で成功するために必要なのは「人と同じ事をしない」ことだそうだが、それが投機に限った教訓でないのは明らかだろう。働く上で、あるいはその前段階で、人は多かれ少なかれ際立たなくてはならず、学問はそのためにも活きる。そしてそれは働くことに止まらず、人生すべての営為に当てはまることかもしれない。学問は何も学者のためだけにあるものではないのだ。

おれ自身が真面目な学徒とは言えないので、上の理屈は自分の耳に痛いところもあるんだけど、学問そのものには金になる/ならない、役に立つ/立たないも無い、ってことは忘れないようにしたい。件の講演の演者は、冒頭の言葉に続けてこう言った。「だから、貴方たちが金融を専門にしていなくても、金融の世界で活躍するチャンスはあるんです」。我々はいい大人であって、何も誰のせいにもできない。それは裏返すと、とてつもない全能感だ。

参考 :
寺島実郎の‘発言’ - 「ジョージ・ソロスの宣戦布告」
wikipedia - カール・ポパー
「いい大人」に関する Google 検索

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