2007/02/03

小さめの宣言

旅先で 23 時寝→ 2 時半起きってのが二度もあったんだけど、今またやってしまった。老化だ老化だ。どうなってるのあたしのカラダ。ニコニコ動画でぷよぷよの神動画とか見てたけど(あれすげえな)どうにも片付かないので、もののついでだから眠くなるまで自分語りする。

一週間旅してたんだけど、一人旅で分かったのは、雪しか無いようなところで一人きりというのは結構危険な精神状態になりやすいってことですかね。誰もいないってのはつまり外部から修正が入らない自分の中の他人のイメージに取り囲まれてるってことで、そこらの雪をスクリーン代わりにばんばか人が出てきて全っ然落ち着かない。ほんと空気読まないねあいつら。

あいつら。
上といきなり逆なこと言う上に今更今年の抱負の話なんだけどさ、今年はいろいろを許していこうと思ってるんですよ。去年までもおれは自分が嫌いなものについて考えるのが好きだったんだけど、それは自分の中で嫌いを醸造して増幅してエネルギーに変えてたわけね(これ燃費最高)。けどそれ一辺倒なのももういいかなーと思って、今年は同じ「嫌いなものについて考える」でも肯定的な方に持っていこうと。つまりよく知ることによって許せるようになろうと。「完全に許すことは忘れることだ」とは言いますが、分からないから厭ってのは確実にある。知ることで克服したい。知った上でやっぱり嫌いだったら燃料行きだけどな! そういうわけで今月中にひとつふたつの嫌いなものを克服したいと思ってます。おれ誰にも言ってない嫌いなもの結構あるから、こっそり治癒。ああリアディゾンは今のところ許す予定も無いです。あれは燃料。おれがおれになるプロセスのひとつが動き出す!

おれがおれになるプロセス。
板尾創路がインタビューで「言ってることがコロッと変わってもいい」と言ってて、その姿勢はとてもいいと思ったんだけど、おれ個人にはやっぱり絵図が必要だ。というかあっち(絵図)が本来のおれなんだよ。今の状態は何かの間違い。何でこんなに壊れちゃったのか分からないくらいダメッダメ。おれって凄いやつなんだよ、おれなんか足許にも及ばないくらい。
これは本来あるべきところに至る、進展じゃなくて回復のプロセスだ。成長とかよりもっと確信的なものをもって大きくなるのだ。なりたい、じゃなくて、ならなきゃ間違いなんだよ。いま得ているものに相応しいおれであることが正しいはずだ。電波だなこれ。大丈夫か。いや電波でも何でも、とにかくおれはおれにならなくてはいけない、可及的速やかに。すごいんだぜおれ。キスとか超うめえの。キチガイだね。

こんなもんじゃないって結構本気で思ってるんだけど、おかしいですかね。このへんちょっと人の意見が聞きたい。
うん、おれおれおれおれ姦しいけど、しょうがないんだ。肯定を探しているだけなんだ。ああ結構大事なところだけど眠くなってきたのす。アップする意味はよくわからんけど投稿。見てろよ世界。バウンス。寝る。

2007/02/08

遍歴について

十九世紀スウェーデンの劇作家にストリンドベリという人がいる。現在日本の書店で彼の著作を目にすることはほとんど無いが、かのイプセンが彼の肖像を書斎に飾らせていたことは有名だ。『人形の家』を著したこの大劇作家は、二十歳近く年下の彼に嫉妬していたのである。

初期のストリンドベリは自然主義、というと聞こえはいいが、要するに生々しい人間模様、それも徹底した女性嫌いを前面に押し出した作品を得意とした。そこから脱却してものしたのが戯曲『ダマスクスへ』である。なお以下の引用は出来る限り原文に忠実に行うが、旧漢字が使用できない場合のみ新漢字に改めている。

主人公である「知られぬ人」は自分を呪われた人間だと感じ、外部からの善意を疑い・悪意には敏感に、そして神に背いて生きている。そのために彼はあらゆるものに打ちのめされ続け、その傷つき方、猜疑心の強さは痛々しいほどだ。たとえば極度に孤独を恐れる彼は、ようやく一人の女性と愛し合うに至ってこんなことを言う。
知られぬ人。自分の妻の側で三日間の幸福と安息とを得たと思ふと、もう不安が歸つて來る。
夫人。何を怖れてゐらつしやるの。
知られぬ人。これが長續きはしまいといふことさ。
夫人。何してさうお思ひになるんでせう。
知られぬ人。知らない。だが突然喫驚するやうに終いになるに違ひないと思ふんだ。日光や凪の中にさへ或る虚僞のものがある。それに私は自分の運命の中には幸福に無いと感じてゐる。
この悲観主義は、次の台詞に止めを刺す。
運命は謀叛の絲を紡いでゐる。
自分を妖怪の子だと半ば信じている彼らしい、鬼気迫る怨嗟の言葉だ。かように彼は運命を憎んでいる。これらがすべて過去の罪への呵責に起因するものだと諭されて解されたときに彼はようやく安息を覚えるのだが、そこに至るまでには長い遍歴を経なくてはならない。本作はその「ダマスクスへ」至るための贖罪と救済のロードムービーである。

さてここで般若だ。今日は『ダマスクスへ』を引きながら、世田谷三茶が生んだ一個の弾丸である般若がその魂の遍歴を綴った作品『内部告発』について語ろう。そうしてこれが果たして彼にとっての『ダマスクスへ』であるのか検証したい。

内部告発内部告発
般若

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まず三億円事件犯人を模したジャケットの写真から明らかなように、般若は本作で自らを「お尋ね者」として提示している。これは「やっちゃった」や「ペットショップ」でお馴染みの諧謔、翻って国家権力という巨大な「威力」に対する反発・敵愾心の顕れであろう。一方『ダマスクスへ』の冒頭で主人公は、郵便局に届いている郵便物を、見棄てた前妻への慰謝料未払いの為に出廷を命じる督促状であろうと取りに行かないでいる。根元については後で検証するとして、片やワルという矜持、片や女性への憧憬/畏怖と、各々の枝葉は明らかに異なっているが、冒頭から「お尋ね者」という形で同じ色に紅葉していることは興味深い。

さて『ダマスクスへ』はその性質上当然聖書への言及が多いのだが、中からひとつ抜き出す。
私はカインだよ、ね、さうして多くの威力に追放せられている。だが威力はその復讎に手を出すことを人間に許さない。
言うまでも無く、これは自分を翻弄する運命・神への(ここまで見たものと同様の)恨み言だが、これに対し般若もなんとキリスト教に言及してみせる。#2「理由」。
オレならくたばり損ねたアダム
アダムくらいで聖書への言及と言えるのか、という意見は尤もだが、しかし般若が 3 枚のアルバム中でキリスト教を連想させる言葉に複数回触れているのはこの曲だけであり、しかもこれがこの内省的なアルバムを象徴するであろう(事実上の)冒頭曲であるという点は覚えておくべきだろう。
「複数回」と書いた。もうひとつはこれだ。
「聖書」「戦争」どっち連想? 般若と書いて読めよ「権力」
これは上述の諧謔と、お得意の帝国主義批判に絡めたもので、まあ想定の範囲内ではある。ここではもう一度アダムのくだりを見てみよう。詞はこう続く。
ゆっくり早く裸で話す
頭のオカシな奴等の先頭 これから連れてく奴等に
説明するのも野暮だが、なのはアダムであることと(般若が常々主張するように)本音であることを強調している。続く先導者のイメージは、最初の人間、という点で結びつけたと思われる。注意したいのは、般若がかつて異端を標榜しこそすれ、このように「最初」を歌ったことはない、という点だ。日本語ラップの第三世代以降に属する般若は、当然自分をオリジネーターだとは主張せず、「ギドラ ペイジャー カミナリ」への一定のリスペクトを表明し続けている。それが今回は強引に先導者を宣言したのはアダムという先行するイメージに付随して「先頭」をこじつける必要があったためかとも思われるが、しかし常套句である「本音」からという地続きのボキャブラリーに対し、そもそもアダムをまず引っ張り出してくる必要がほとんど無い。この不整合は般若の類稀な言語センスを知る我々から見れば失点ともとれるが、しかしそれだけに何らかの意図を感じずにはいられない。なお、二曲あとの「みんなのうた」で「イイ歌詞なんて浮かばねーよん」と歌っていることは、本稿ではノイズと見做して不問に処す。

冒頭の「お尋ね者」イメージに続き、展開上重要な相似が両作には見られる。まず般若が長渕剛「SUPER STAR」にインスパイアされたと思しき(ていうか明らかにそう)#8「スーパースター」。これは般若が幼い頃から憧れていたスターを列挙し、
誰もが一度は憧れた こんな時代にスーパースター
と讃える歌だが、偶然か必然か『ダマスクスへ』のクライマックスも似た展開を見せる。遍歴の後にようやく諸々への目を開いて赦しを得た主人公は、その総括として、神官に連れられて画廊へ行く。そこでゲーテやシルレル、ヴィクトル・ユーゴーといった偉人たちの肖像を眺めながら、彼らの作品そのものの、あるいは作品と実生活との矛盾(たとえばユーゴーはフランス・スペインの貴族であり王の友人でありながら社会主義的作品を著した点)を指摘した上で、彼らの業績を改めて賞賛していく。中でも貴族と革命家とを行き来したラファイエットへの言及が簡潔で良い。
神官。この人は何だつたのでせう。
知られぬ人。兩方です。
神官。さうです。兩方です。
同じスーパースター賛歌において、般若がスーパースターを力強く肯定し続けるのに対し、『ダマスクスへ』の主人公は一般に讃えられる人々をいったん否定的な側面から確かめた上で、肯定で結ぶ。後者は最後に神官からこう告げられる。
あなたは総てを肯定したことで人生を始めました。それから原則的に総べてを否定し續けて來ました。今度は総合することで人生をお終りなさい。だからもう、除外的にはならないやうになさい。
先述の称揚がこの生き方をそのままなぞっていることは明らかだろう。

『ダマスクスへ』がこの総括ののち結末へ向かうのに対し、『内部告発』はここから事実上の結びである #10「内部告発」までの間に #9「ペットショップ」を挟む。この曲がまた反権力をテーマにしたいわば否定のトラックであり、それこそが般若の「ダマスクスへ」の旅が終わっていないことを雄弁に物語っているが、それゆえに、「内部告発」の過剰な力強さは生命力に溢れて響く。
必要な武器はひたすらタフ 言うな オレだって一人で泣く
だってコケても来世で会う まだ間に合う だけど今なら
行けよ もう こっから向こう 行く道行こう ひたすら そう
自分で決めたこの道のゴール
雲をも掴め 出来るゼ
なおこの曲に続けたアウトロ「時効」を経て最後には「オレ達の大和」が鎮座するが、本稿ではノイズと見做して不問に処す。

以上のように、般若『内部告発』は遍歴の記録として一定の形式を保持しながら未だ結論を持たないものと言え、彼の人の発展性、可能性を改めて裏付ける形となった。来るべき 4th に向けた更なる期待を以って筆を置くこととする。
なお、ストリンドベリはよく読んでいるが般若というラッパーのことはよく知らない、という人は非常に多いと思われるので、本稿における大上段からの論述は違和感をもって受け止められがちであろう。そこで末尾に、識者が発掘した般若のインタビュー映像を付する。本稿に疑問を持たれた諸氏がこれを参照し、般若の文学性を確認されたなら、筆者冥利に尽きる。ピース。

参考文献:
ストリンドベルリ著、茅野蕭々訳『ダマスクスへ』岩波書店、1924 年 3 月。
般若著『内部告発』エイベックス、2006 年 2 月。

参考 URL:
早朝ビッグ対談:般若氏に聞く(BARKS)

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