2006/06/26

自己言及経由赤迫行

ある人に、このブログを読んで伝わってくるものとして「第一にお前の性格の悪さ」と言われたんだけど、これは真理だな。俺は基本的に怒りとか苛立ちとか、論ずる対象への負の感情に基づいて更新する。

人が思考の道筋をまとめるアプローチというのは大きく演繹的か帰納的であると言えると思うんだけど、それでいくと俺の書き方・考え方というのはまったく帰納的なものだ。まず先立つもの(負の感情)があって、それに理屈をこじつけていく。そしてこのコアになる感情が強ければ強いほど、論としてのまとまりとか論証を引き付ける力は強くなる。少なくとも俺は対象に憤っているときの方が、それを愛好しているときよりも執念深くなる人間であって、おかげでネガティブなテキストの方がまとまりやすい()。そして殆どの日記書きの人たちも同様に帰納的なアプローチをとっている。ように見える。

さて上記のように着地点が予め分かっていると非常に助けになるのは、発想というものが何も無いところからポンと出てくるものではないからだ。これは何も「あれが嫌いだ」とかいう感情に限らず、レポートなり企画書なりを書くときの目的・動機、というのもその「着地点」のひとつ。こうなると日記の場合と違って、当たり前のように着地点を把握できなくなることがある。
例えば「ごみ問題」についてのプレゼンを採用面接でやる、となったとき、その目的は「ごみ問題を解決する素晴らしいソリューションを提示すること」ではなく「採用されること」だ。これは結果的に同じことであったりするけど、本質的にはまったく別。もちろん「ごみ問題について自分なりの結論を出すことから逃げない」というのも大事だけど、行き詰まった際のアプローチの変え方としては有効だと思う。そもそもその「逃げない」というのが本当に合目的的であるかというのは一度考えてみる必要がある。
当たり前のようだけど案外忘れそうになることは多いし、実際これを意識すると自分が取り組んでいる問題の姿かたちは少しはっきりしてきて、やることも見えてくるんじゃないか、と思う。

以上は自分なりの考える姿勢論みたいなもので、あくまで経験則を出ないからなんとも貧弱なんだけど、次は「発想のプロ」が書いた本を引いてもう少し考えることについてメモしたいと思う。
この記事へのコメント
NHKのニュース解説とかでなんかちらっと聞いて本当にびっくりしたのが、日本○路公団のたとえば「47年後には採算が取れているであろう」という目論見における考え方。スーパーバイザーがいないと、こういうふうになっちゃうのねん
Posted by こるりこ at 2006年07月03日 18:51
あのへんは自分の目的と組織の目的をきっちり分けられてるから逆に清々しいですね。しねばいいけど。
Posted by tebasaki at 2006年07月05日 00:49
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