2007/04/24

6

消すとか消えるとか考えると、いつも思い出すことがある。

小学校に入ったばかりだっただろうか、地元の図書館で手塚治虫『火の鳥』を読んだ。何編だったかも忘れたけど、作品の中に、輪廻転生の過程をかなりテンポよく、10 ページ弱で描いている部分がある。僕はこのくだりが物凄く怖かった。

主人公は何かの拍子で死に、気付くと魚か何かに生まれ変わっている。さっきまで人間だったはずなのに…とうろたえている間に別の魚に襲われ、また死ぬ。次に気がつくと鳥になっている。そうして死と転生を繰り返すうちに人間だった頃の記憶は薄れていき、最後にはすっかり忘れて、それでもただ生まれ変わり続ける。

僕には、自分の「今」を忘れてしまうことが恐ろしかった。単純に「今」が幸せだから、ということではない。「今」の生活を失うことより、それを忘れてしまうことの方が取り返しがつかない気がして、怖かったのだ。

この忘れること・忘れられることへの恐怖は抜きがたく僕の中にあって、今でも「忘れないで」というありふれた詞さえ耳にするたび辛い。忘れることは残酷だし、忘れられてしまうことはそれ自体あまりに悲劇的だと思う。
will you still remember me well?
当たり前の話だが、これは疑問文ではない。「忘れ去られること」は恐ろしくて悲しい。そしてそれを諦めつつも受け容れようとする痛々しさが、この詞を聴くたびに僕を切なくさせるのだろう。
君は僕を 忘れるから
そのときには すぐに 君に会いに行ける
これほど希望に溢れた言葉が他にあるだろうか。でも信じることはできない。僕はどうしても、忘れられたら終わりのような気がしてしまう。果たして会いに行けるのか。そもそもそうしてまで会いに行きたい人が確かにいたような気がするのだけど、もう思い出せない。そしてここも消え、忘れられていくわけだ。悲しい。でもそれすらどうせ忘れる。本当に好きだったのになあ、ここ。
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